top of page
2020年11月7日、妄想模型鉄の寿老人@びょうり様よりご連絡があり、なんと奥武鉄道のモハ150をモデル化したというではないですか!!というわけで蒲生、11月16日夜に寿老人様の奥様が院長をされているクリニックへ馳せ参じ、早速拝見して参りました. *このページの写真はクリックすると拡大します*
むむむこれが全てモハ150!!?お話を伺うと、これは寿老人様がお知り合いのフリー模型を作られている方に発注されたのだそうなのですが、モハ150(M車)+モハ150(T車)の2連を発注されたところ、模型作者様が二次創作的妄想を働かせて、さらにモハ150のノーシルノーヘッダー化改造車(左列手前)やモハ150を電装解除したクハ150、さらにはモハ150の特徴でもある前面張り上げ屋根スタイルが採用される前の試作車!?(右列の2両、ベンチレーターやパンタグラフ形状も異なる)まで作られ、合計6両セットになって納品されたとのこと. いやはや恐るべしです.
手前からモハ150(T車)、クハ150(T車)+モハ150(M車)、そして一番奥がノーシルノーヘッダー化されたモハ150(T車). 原形車では運転台窓の上方への傾斜も的確に表現されており、一方ノーシルノーヘッダー車では平面窓となっています.
モハ150の側面. Nゲージながら運転台床下のジャンパ栓など細部まで的確に再現されており、何よりシル、ヘッダー上や車体裾部に並ぶ無数のリベットは圧巻!!何でも模型製作者様は今回の製作に当たって故障していたリベット打ち込み機を補修されたのだとか.
クハ150(中央)はすっきりとした床下が印象的. 16m車体の床下に所狭しと抵抗器が並ぶモハとの違いに注目!!
あぁもう気分は昭和10年代の板橋車庫!!
モハ150原形車(右)とノーシルノーヘッダー化改造車(左).
実はこのノーシルノーヘッダー車、シルヘッダーがなくなり運転台窓が平面窓に変えられているのみならず、貫通扉の手すりが変わっていたり側面鋼体の高さも微妙に違うんですよね. 元々前面形状から黄色坊主感の強いモハ150ですが、この改造車のぬめっとした形態は異端中の異端!?
さらに驚いたことにこの寿老人@びょうり様、昭和10年前後の岩槻をテーマにオリジナル模型を発注して収集されているとのことで、奥武鉄道モハ150系(左3列)の他、総武鉄道(現・東武野田線)の前からモハニ1100形-モハ1000形-クハ1200形(右から2列目)、さらに武州鉄道の単端ガソリンカーなど(右列)も所持されております. こうやって集めると昭和初期の岩槻の情景がありありと!!?
総武、奥武、武州の3路線が交錯していた昭和10年前後の岩槻. 奥武線の駅名は「岩槻」でしたが先に開業していた総武線は「岩槻町」、そしてそれよりさらに前に開通していた武州鉄道にはそれとは別に「岩槻」駅がありました. 奥羽越鉄道線の自社線内への乗り入れと奥羽越鉄道資本による川口、都内への延伸を期待していた武州鉄道は奥羽越鉄道線が関宿→浦和ルートを選択して開業したために悲願の川口延伸もならず、まもなく廃線に追い込まれます. 3路線が行き交い鉄路の賑わいを見せた岩槻の風景も、長くは続きませんでした(地図は寿老人@びょうり様作成).
それぞれの車両を撮らせて頂いた後は、レイアウトに乗せてスナップショットを.
神社の脇をすり抜けて発車するモハ150. 当時の奥武本線沿線はこんな感じだったのでしょうか….
夕闇迫る中、神社の脇から発車するモハ150の2連. おや、何やら可愛らしい看板がありますよ!?
実はこのカモのキャラクターが描かれた看板、寿老人様の奥様が院長をされているクリニックの看板なのです. 中山道線の植竹盆栽町駅から徒歩7分 埼玉新都市交通伊奈線ニューシャトルの加茂宮駅から徒歩2分、「小児科・アレルギー科 かものみやピッコロクリニック」です. こちらのレイアウトをご覧になりたい方は是非!(何の宣伝!?)
というわけで夜分におしかけたところ歓待下さった寿老人様、奥様、本当に有難うございました!
寿老人様発注のモハ150形Nゲージ
bottom of page